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「沈黙は金」を選ぶのはさびしい気がする

 

 

先月、好きで数年間読み続けていたブログが閉鎖しました。

その理由は、

閲覧者が少ないのをいいことに思ったことを書き散らしてきたが、ブログというのは全世界の誰でも読めるもの、という配慮に欠けていた。つい仲間内でしゃべっている感覚で気軽に書いてしまった。このような人間は公へ発信するブログを書く資格はないと思うので閉鎖します

とのこと。

 

 

これを見たとき、どことなく分かるような気がしつつも納得はいきませんでした。

それというのも、「イヤなら見なければいいだけ」という気持ちがあったから。

 

 

確かにどんなブログでも全世界の人が目を通す可能性はあり、内容によっては不快になることもあるとは思います。

でも、こちらから強制的に来させているわけではないし、「読まない」という選択をすることは出来るはず。

かといって、ありもしない誹謗中傷などを書いていいわけではもちろんありませんが。

 

 

そもそもブログって思ったことを書くものだと自分は考えます。

「俺はこう思った」ということを書いて、それを誰かが読んで共感や反感を覚える。

そして何かを考えるのが面白いと思うのですが・・・。

 

 

それと、世間的価値観で「幸せ」に分類されるような出来事を書いたとしても、読む人によっては辛いこともよくあると思います。

ちょっと例えの方向がずれているかもしれませんけど、例えば数ヵ月前に連日のように報道されていた芸能界の妊娠ラッシュなんか当事者や一般の人からみたらハッピーでも、不妊症で悩んでいる人からしたらあの話題は辛いことだと思うのです。

結婚を諦め人生を捨てている俺でも、あれだけ芸能人の妊娠の話題が上がっているときは、精神的にくるものがありました。

自分で選んだことで誰の所為でもないですけど、ああいうニュースをみると、そういうことが出来ない自分は人間としてやはり失格なのだなぁ・・・と。

 

 

で、このとき自分が取った行動は、そういうニュースになったらチャンネルを変えること。

「自分のような人間の気持ちを考えて放送するな!!」なんてバカなことは言いません(笑。

辛いのなら、イヤなのなら見なければ済む話ですから・・・。

つまりはそういうことでしか世の中はやっていきようがないと思うのですが、どうでしょうか。

なんというか、万人に大丈夫という話題はあるようでないものだと思います。

動物園の動物をみて「かわいい」と思う人もいれば、「せまいところに閉じ込められてかわいそう」という思う人がいるように。

 

 

だから自分としてはその人にブログを続けてほしかったというのが本音です。

ただ、ブログはイヤイヤやるものではないとも思いますし・・・、その方がそう決めたのなら仕方のないことだと割り切るしかないのでしょう。

でも、ファンとしてはとても残念でした。



生きていれば「別れ」というのは必然ですが、いつ来るかは本当に分からないものだから心のどこかで覚悟をしておく必要があるのかも知れません。
ほんと、何事もいつまでもあるようで一瞬で消えてしまうものですから。


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