前回のつづきです。
司会の方から弔辞を読み上げる際の手順について、叔父さんの長女と説明を受けることになりました。
読み上げる順番は長女→俺の順。
年齢的なものを考えたら俺の方が先だと思っていたことや、「先に読み上げた方が内容がかぶったりしても安全」と保身的なことも考えていたこともあり、これにはちょっとショックでした。
でもまぁ葬式の全てを取り仕切っている叔父さんが決めたこと。
ましてや俺のような立場では、
「叔父さん、俺は初孫なんだから俺の方が先でしょ!」
なんて主張が出来るわけもなく・・・。
そのまま素直に従いました。
で、まず確認の1つに、どこに二人が座るかになったのですが・・・。
まぁこれは進行上パッと2・3列目の真ん中の通路側に座るべきだと思ったので、長女が2列目、俺が3列目だと司会の方に伝え、そのままお互いに座りました。
そしてこのときですよ。
俺の中では「軽く挨拶でも・・・」なんて思っていました。
会うのはほぼ四半世紀ぶりで、俺が19歳のころに会ったのが最後なのですが、そのときは会ったら軽く挨拶はしていました。
だからそのときと同じノリで挨拶しようと思っていたのですが・・・。
なんと俺に一切目を合わせることもない長女。
俺の中では最後にあった19歳のころのイメージがあり、そういう感じで接しようと思っていただけに、これにはちょっとショックを受けると同時に、この瞬間全てを悟ったのです。
「あ、彼女の中で俺の記憶なんて、とうに消え去っているんだ」
と。
どういうことかといいますと、この長女は18歳ぐらいで結婚して、子どもの1人は成人しているぐらい。
俺のような者と違って、普通に真っ当な人生を歩んでいるわけです。
俺と会ってなかった25年間、夫や子どもと社会の中を生きてきた。
そんな人間が仕事をろくにしておらず、また結婚もしていないおっさんである従兄弟の俺の対し、思いを巡らせることなんてあるわけがありません。
つまり、俺はとっくの昔に長女からすれば「従兄弟」ではなく、「よく知らない親戚の1人」となっていたわけです。
これは叔父さんの子どもたち全員も同じでしょう。
25年物間、付き合いがなかったわけですから。
しかし俺はこのときになるまで、この事実に気付きませんでした。
従兄弟たちに対し、19歳ぐらいのときのままで時間が止まっていたのです。
このとき、時間が止まっていた俺と動き続けていた長女の差のようなものがよく分かりました。
この現実を天啓のように悟った俺。
司会の方から弔辞の手順について説明を受けながら予行練習している長女の姿を見ながら、心底、敗北感に包まれていました。
「ああ・・・・・・そういうことだったんだなぁ」
と。
んで、この後なんですが・・・。
俺も弔辞の手順の説明を受けた後、俺はそのまま3列目の席に座っていました。
長女はどこかに行った模様。
そのため、俺の前の席は空いた状態のままだったのですが・・・。
あと5分ほどで告別式が始まろうとしていたころ、50代ぐらいの男性が俺の前の席に座りました。
一列目が近い関係である叔父さんや叔母さん、うちの母が座っています。
その後ろである2列目に座ったその男性。
その様子から親戚の中でも近しい人だとは思いましたが、俺はまったく知りません。
で、弔辞を読み上げる都合上で席は決まっているわけです。
だから思わず声をかけようと思いました。
「あ、すみません、そこは○○さん(長女)が座るので」
と。
しかし、まったく知らない人です。
声をかけるべきかどうかか、しばらく迷いました。
一時は声をかける寸前に。
が、この後。
長女が戻ってきてその男性に話しかけて席を変わってもらっているのを見て、俺はその男性が長女の夫であることを察しました。
このときは声をかけなくて本当によかったと、心の底から安堵しましたね。
旦那さんとは全く知らずにそんなこと言ってたら、赤っ恥もいいところというか。
また苦い記憶が増えるところでした(笑。
そしてこのとき、またこんなことを思ったのです。
「そりゃ旦那の顔を知らないような関係なんだから、長女が俺に挨拶をしてこないのも納得w」
なんてことを。
と、そんな感じで、およそ20分の間に自分が親戚の中におけるどういう存在かを全て把握。
正直、まったく考えていなかったこの現実にショックを受けましたが、まぁ気づけただけ良しとしなければならないのかもしれません。
ここで気づかなかったら、こんなアホな考えを抱いたまま更に歳を重ねていたでしょうから。
この後は神主さんが入場してきて、告別式が始まりました。
すると俺の仲で弔辞を読み上げることに対する恐怖感が再燃。
大勢の前で何かを発表するという緊張感に怯えながら、式は進んでいきました。
次回につづく
[6回]
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