叔父さん(小さいころから「おんちゃん」と呼んでいたので以下おんちゃん)の葬式に行くことにし、お葬式の会場を母に確認すると家から車で15分ほどの場所。
慣れないことでテンパっていた自分としては、近い方がありがたかったので助かりました。
いろいろ心配事があり、遠距離を走る自信がなかったということもあります。
当日パニックにならないようにカーナビの他にもグーグルマップを活用して、しっかり場所や周辺の状況を確認。
仕事が休みということも幸いし、時間に余裕を持っていくことにしました。
で、その前に喪服などを母に出してもらいサイズを確認。
今持っている喪服は3年ほど前にあった祖母の葬式の際に買ったもので・・・。
「太って着られなかったらまた買ってこなければ・・・」という不安がありましたが、そういうのを見越して大き目サイズを買っていたので(笑、着るのにはまったく問題なし。
でも、母いわく長袖のYシャツが見当たらず半袖しかないとのこと。
といっても、日中は上着を着ていればやり過ごせそうな気温だったので、今回は半袖で行くことにしました。
そして、ビジネスマナー本で葬式のマナーなどを確認。
滅多にないことですから、どうしても忘れてしまうのですよね。
今はネットでも調べられますが、こういう本を一冊は持っていた方が便利ですね。
香典を渡す際のマナーや焼香のやり方を一応予習しておきました。
そして当日。
緊張して朝早くに目が覚めると、あることに気付きました。
「あ、黒の革靴持ってない!」と。
たしか3年前にぶっ壊れてしまいそれっきり。
そのため朝一で買いに行かなければいけないかとも考えましたが、母に相談してみると自分の場合、葬式に出てその後すぐに帰るので今回は黒のスニーカーでもいいのではないかとのこと。
普段履いている靴の中に完全な黒色の靴をもっていることもあり、今回はこれで行くことにしました。
(後にネットで調べたら、黒とはいえ葬式にスニーカーはNGで猛省)。
出発時間近くになり、喪服を着てふくさに包んだ香典を持って出発。
道中、やはり普段とは勝手が違うようで何だか気持ちが落ち着きません。
「いま何やってるの?」とか親戚から聞かれたらどうしようとか考えてしまい・・・。
でも、行くと決めた以上は腹をくくるしかありません。
安全運転を心がけながらも予定より10分早く到着。
早めに会場入りして話しかけられたらイヤだと思い、10分ほど車中で時間を潰してから会場に向かいました。
会場に入ると「親戚」と「一般」の受付が。
おどおどしながらも親戚の方の受付に向かい、「この度はご愁傷様でございます」と挨拶し、芳名帳に住所と名前を記入。
受付をしていたのは20代の若い男性。
たぶん従兄弟だと思いますが、お互いにまったく面識がないため会話はありませんでした。
というか、むこうも次々と受付しなければいけませんから、そんなことに構っている余裕もないのでしょう。
会葬お礼品を受け取り、親戚が座るスペースの後方へ座りました。
親戚や一般も含め、会場にはたくさんの人が。
祭壇にはたくさんの華やおんちゃんの大きな写真がありました。
おんちゃんの姿を見るのはおよそ10年ぶり。
ここ数年はボケていたと聞いていたので、会いにいったりすることはありませんでした。
そのため、悲しいという気持ちはありつつも泣くことはないだろうと思っていましたが・・・祭壇の大きなおんちゃんの写真を見ていると、小さいころの思い出がよみがえり、涙がスゥッと頬を伝って・・・。
そして、おんちゃんのためにこれだけたくさんの人が集まっているという事実に、「立派な人生を歩んできたんだなぁ」としみじみと感動してしばらく涙が止まりませんでした。
と、こんな感じで感傷に浸っていると、お坊さんが3人やってきてお葬式が開始。
後で母に聞いて知ったことですが、お坊さんが3人も来る葬式というのは超豪華だそうで・・・。
様々な事情がありこのような葬式を開かなければならなかったようですが、それを実行できるのもおんちゃんの息子やその家族がきちんと働いてお金を持っているからこそ。
この季節に半袖のYシャツやスニーカーで葬式に来ている自分のことを思うと、何ともたまらなく情けない気持ちになりました。
親がちゃんとしていたとしても、息子がバカなら立派な葬式をあげてやることも出来ないのだなぁという現実を知り、またいろいろと自分の人生を考えてしまいました。
と、そんなことを思いながらも式はちゃくちゃくと進行。
おんちゃんがどういう仕事をしてきたかや、ひ孫を抱いている姿が入っているDVDを流され、お坊さんによる読経を経て、家族の焼香から親戚と一般の焼香に。
個人的にはこの焼香をする手順に対して「間違ったらどうしよう」という緊張していましたが、親戚や一般の焼香は人が多いこともあり6人ずつでドンドンやっていくような方式だったので、多少手順などを間違っても指摘する人はいません。
前の人のやり方をみてそれを真似すればOKというか。
焼香で大切なのは故人に対して心を込めることのようなので、自分も心を込めて一礼して席に戻りました。
こうしてお葬式は終了。
自分は最後方に座っていたこともあり、そのまますぐに会場を出ました。
行く前に心配していた「親戚に何か聞かれる」などということは一切ありませんでした。
ま、よくよく考えれば喪主さんたちにとっては、今の俺の状況などどうでもいいこと。
特にここ数日はやること山積みですしね。
更に言えば、10年に1回会うか会わないかくらいの付き合いですし、従兄弟たちは従兄弟たちで自分の仕事や家族のことで頭がいっぱいでしょうから。
つまり、誰も俺のことなんて眼中にすらないということですね(笑。
葬式が終わった後にこのことにようやく気付きました。
アホですいません。
とはいえ、今回のおんちゃんの葬式では色々と考えさせられました。
要は家族のために頑張って人付き合いもきちんとやってきたから、今回のような立派な葬式を息子にあげてもらっているおんちゃん。
それに対して俺の人生は・・・。
葬式をやっても誰もこないというか、葬式をあげる必要もないと本気で思わざるを得ませんし、こういう生き方をするならそこら辺も含めて覚悟しておかねばならないのだと改めて思いました。
亡くなった後に惜しまれたり悲しまれたりする人と、そうではない人の差。
40歳になった今、その違いを今さらながらしっかりと学んだ気がします。
会葬お礼品の仙台まころん 。
大変美味でした。
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