前回のつづきです。
祖母の告別式が始まり、どんどんと進行されていく中、弔辞を読むことに対する俺の緊張はMAXに。
冬なのに手から汗が噴き出るほどで、1人でプルプルと震えていました。
こういう場でみんなの前で何かを言うというのは、俺のようなヘタレにはあまりに荷が重いということもあり、マジで生きた心地がしなかったのです。
が、そんなときにふと頭によぎったのは、「東出 昌大」のことでした。
ちょうどこの日、彼の不倫が明るみに出て、ネットやテレビでは大バッシングが始まっており・・・。
そんなことを思うと、
「東出の今の状況に比べれば、俺が弔辞を読み上げることなんてたいしたことではない」
と気づき、少し落ち着きを取り戻しました。
不謹慎と怒られるかもしれませんが、このときは本当にそんなことを思ってしまったのです。
と、そんなことを思っているうちに、いよいよ孫たちの弔辞に。
長女の行動を確認がてらしっかり見ながら、まずは長女の弔辞を聞きました。
長女の弔辞の内容はとても心のこもったもので、祖母との小さい頃からの思い出を暖かい内容でした。
俺が一夜漬けのような形で作ったものと比べると、「想いの強さ」的にはかなり負けていると感じました。
でも今からどうすることも出来ません。
幸い、文章などはまったくかぶっていないこともあったので、長女の弔辞が終わった後は俺の番に。
緊張していましたが、こうなれば後は出るしかないので、とにかく早口にならないように一言一言ゆっくりと弔辞を読み上げました。
そして無事に最後まで読み上げて席に戻りました。
このときは緊張していた分だけ、本当に心の中でホッとしました。
それと共に、叔父さんが俺に弔辞を頼んだのは、今後のために
「こういう場での経験を積ませるため」
だったのかなと想いました。
それこそ、この機会を逃せば滅多にないこと。
特に俺の立場で考えれば、孫として弔辞を読み上げるのは最後の機会でした。
そんなことに気付くと、最初は、「叔父さんも余計なことを・・・」なんて恨みがましく思ったことを反省し、良い経験をさせてもらったと感謝しました。
この後。
出棺するための準備のため、全員いったんホールから出てエントランス付近で待機。
告別式が始まる前の俺に対する長女の反応をみて、従兄弟たちに話し掛けられるような立場ではないということは分かりきっていたので、母と他愛のない話をしていました。
するとそこに、父の葬儀にも参加してくれた親戚の叔父さんが登場。
「いや~さっきの弔辞よかったねぇ」
と褒めてくれました。
まぁお世辞だとは分かっていますが、この一言には救われました。
自分でも長女の弔辞に比べると、物足りないものがあると分かっていたのから。
また、このとき知らない親戚のご夫婦から話し掛けられました。
弔辞を読み上げたことで、俺が小さいころに会った「kanimiso」だと気付いたみたいで、
奥さんの方からは
「kanimisoちゃんがこんなに小さい頃におばちゃん家に遊びに来たのよ~」
とか言われました。
旦那さんの方からは、
「kanimisoちゃんはあのまま大きくなった感じだね」
なんて言われたりしましたが、俺はこの方々に会った記憶がまったくありません。
まぁおそらく会ったのは今から30年以上前のこと。
覚えていないのも当然といえば当然でこのとき、この親戚の方に対する感覚が、従兄弟たちが俺に対して持っている感覚と同じようなものなんだということを感じました。
「よく知らない親戚の1人」だと。
と、そんな感じのやりとりをしていると、出棺の準備が整い最後のお別れに。
全員で祖母を見送り、その後は火葬場までバスで行くのですが、俺は弟の面倒を見なければいけないこともあり、葬祭会館の参加までとなっていました。
叔父さんに「ありがとうございました」とお礼を行って家に帰宅。
祖母と叔母の葬儀関連の行事が全て終わり、とりあえずホッとしたのですが・・・。
こうして祖母や叔母の葬式が終わり、俺は6年前ぐらいに考えていたことが杞憂であったことを思い知らされました。
次でこのシリーズは最後です。
次回につづく
[5回]
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