一週間くらい前のこと。
夕方、近所のスーパーへ向かうと、途中で犬の散歩をしているケイスケを見かけました。
おととしの12月に再会して以降、ごくごくたまに近所のスーパーの駐車場でケイスケを見かけるようになりました。
ただ、そんなに親しい関係でもないですし、前に書いたように昼間からスーパーの駐車場で第3のビールを飲んでいるケイスケ。
そんなケイスケと一緒になってしゃべっていると自分も変な目で見られそうなので、お互いに気づいても会釈する程度ですませていました。
が、先日ケイスケを見かけたときはこんなことを思ったのです。
「この時間帯にいるということはまだ仕事をしてないのだろう、俺がやっているバイトでも紹介しようかな」。
自分がバイトを始めてから思い知ったのは、とにかくバイトでもいいから働けるなら働いたほうがいいということでした。
というのも、やはり何もしていないよりは気も紛れるし、少しはマシだと思うのです。
事故に遭ったりしてニュースで名前を読み上げられるにしても、「無職」よりは「アルバイト」との方がまだいいですし。
とはいえ、自分のように40歳のバイトとなると焼け石に水のようなものですが(笑。
それでも働かないよりはよほど良いと思い知った今、簡単な仕事でもある今のバイトを紹介したらケイスケにとってもプラスになるんじゃないかと考えました。
会社にとっても人が増えることは有益なことですので。
でも、この後少し考えてそれはやめておくことにしました。
というのも、よくよく考えたら自分は今のケイスケがどういう人間か知りません。
自分が社長にケイスケを紹介して何かトラブルでも起きたら、俺の責任になります。
その結果、自分が今のバイトをやめざるを得ない状況になったら本末転倒もいいところ。
また、自分が気に入っている仕事とはいえ、ケイスケに合うかどうか分かりません。
自分の場合、無職なってから家でよく料理をするようになったこともあり、元から調理の作業は性に合っていたのだと思います。
でも、ケイスケはそういう作業よりは、俺が苦手な接客とかの方が好きかも知れません。
そういうことを思うと、「無責任なことは出来ない」と思いました。
というか、自立すら出来ていない自分が他人を救おうなんておこがましいですよね。
ただ、このときにふと何となく分かったことがあります。
それは自分が無職だったころ、なにかと声をかけてくれた友人たちの気持ち。
その当時は心が荒んでいたのもあり、手助けしようとしてくれる言葉や姿勢がうっとおしく感じていたときもありました。
でも、今になって考えてみれば、あの当時の無職の自分をみて友人たちは「何とかしてやりたい」ということを素直に思っただけだったのかなと思いました。
自分が今回ケイスケに「バイトを紹介しようかな」と思った気持ちのように。
それを踏まえると、申し訳ない気持ちにもなるし、相手の好意は素直に受け取っておくべきだと思いました。
変に斜に構えてはいけないですね。
[6回]
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