この後、
「まぁ友人との縁が切れるのは悲しいけど、こればかりは仕方がないよな」
と楽観視していましたが、ここに来て恐ろしいことに気付きました。
それは友人がいない=自分の身元を保証してくれる人間は親だけだという現実に。
実家に寄生している今はそれでも何とかなります。
でも、これがもし親が死んで家が無くなり、どこかで1人暮らしを始めなければいけないとなれば保証人が必要。
そのとき、誰かが俺の身元を保証してくれる人がいるかと考えれば、現時点ではゼロなのですよね。
親戚との付き合いも自分はほとんどないので今さら頼ることは出来ませんし、自分がもし親戚から頼まれた場合も断るでしょう。
ま、無職の自分を頼ってくる酔狂な人間はいませんけどね・・・(苦笑。
こう考えると「友人がいない」ということは、世の中を渡っていく上ではとんでもないハンデというか・・・、例えるなら電車に乗るのに切符すら買えないようなことのような気がします。
いくら1人で「自分は問題ない」と主張しても、世の中で他にそれを認めてくれる人がいなければどうにもなりませんし、それが真実。
「どんな仕事をしているか」や「友人は何人いるか」・・・、そういうのが社会的ステータスに直結し、その評価軸では自分は何もない人間ということになるのでしょう。
くらげねこさんのサイトで「貧困ブログ」のカテゴリーに入れられているこのブログ。
最初にそれを見たときは「貧乏だけど、貧困とまではいかない」と思っていましたが、今考えてみると貧困というのは何もお金に関することだけではないわけで・・・。
友人という大切なものを失いかけているいま、自分のブログは「貧困ブログ」で間違いないと実感した次第です。
ただ生きるだけでも1人ではしんどいものですね・・・。
[5回]
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