}); }); 忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

東日本大震災から8年

 
 きょうで東日本大震災から8年目を迎えます。
 
 
 これまでも毎年3月11日は東日本大震災を振り返ってきましたが、
今年はまたずいぶんと感じ方が違います。
その大きな要因は・・・間違いなく去年、父を亡くしたことでしょう。

   


 父が亡くなってから半年以上が経過しました。
もうどうにもならないことだし、このあたりまでくればあまり父のことを思い返すこともなくなると考えていましたが、やはりそう簡単に悲しみが消えるものではないのですね。
実際、いまでも時折父のことを思い出しては悲しみに暮れたりします。
また外に出た時なんかは、父に似た背格好の人を見ると、「えっ?」と思って目で追いかけてしまったり。
父が生きている間には絶対なかったことで、自分でも正直驚いています。
 
 
 自分と父の場合、普段からの接点は少なかったものの、亡くなった後にその存在に頼り切っていたという事実が分かると、どうしてもしんみりした気持ちになってしまいます。
「ああ・・・普段からほとんど会話とかしなかったけど、大きな存在だったんだ」と。
今さら気付いても遅いのですが・・・。
 
 
 で、これは俺だけではなく、母や弟もそれぞれに感じていることのようです
今のところ、「危うい」と呼べるまでの変な兆候は見られませんが、1人1人なんだか昨年までとは違う奇妙な行動をとったりしています。
自分も含め、父が亡くなったことを何とか受け止めようとしているけど、それがうまく出来ない。
そのうまく出来ない部分が、傍から見ると奇妙な行動なっているというか・・・。
でも、本当に家族が1人亡くなるというのは大きいことで、その悲しみを1年にも満たない期間できれいな思い出に昇華させるのは至難ゆえ、これも仕方のないことだと思います。
家族全員、父の死の現実を完全に受け止めきるまでは、まだまだ時間がかかりそうです。
 
 
 というわけで、自分は40を超え父を亡くして、ようやく「死」の重さや意味が何となく分かってきました。
そんな自分が今、この東日本大震災で亡くなった多くの方とその遺族のことを思うと・・・。
自分の場合は父から余命宣告の話があったにも関わらず、未だに年が明けてもその悲しみが消えないのですから、津波で突然命を奪われた方々の遺族の悲しみや驚きの大きさは、こんなものじゃないと分かった気がします。
「半年後に亡くなる」と分かっていても、父が実際に亡くなった日の悲しさは忘れられません。
それを踏まえると、突然の別れというのはあまりにも残酷ですよね。
そう考えると・・・死に目には会えませんでしたが、亡くなる前日に会うことが出来ていた自分は幸せなのだと思います。
そしてもっと早めに「覚悟」をしておくべきでした。
そうすれば、もっと父とも何かしらわかり合うことも出来たのかもしれません。
 
 
 2011年3月11日に起きた東日本大震災から8年。
まだまだ長生きすると思っていた父が亡くなったという現実と、これからもどんどんあっという間に過ぎていくであろう時間。
自分も含め、誰がいつ震災などで命を落とすか分かりません。
今後は3月11日が来る度にこのことを思い返して、しっかり終活に励んで参る所存です。

にほんブログ村 その他日記ブログ フリーター日記へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ

拍手[4回]

PR