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不安しかない未来

 
 
最近、テレビでこのようなテロ、または天災で亡くなる人々を見ていたら、常に「両親がすぐにでも死んだらどうしよう」といった不安に襲われるようになりました。
昔からこういう想いは心の片隅にはあったものの、このごろはその不安が心を埋め尽くすというか。
だから最近は親がどこかへ出かけたりしただけでも、とんでもなく不安になったりします。
行き慣れた店や場所に行くと聞かされても、「なにかあったらどうしよう」と。
 
 
むろん、こんなことは考えたところでどうしようもありません。
それこそ、いつどこで何が起こるのかは誰にも分かりませんので。
テロや天災などというものでなくても、外を歩いていれば車が突っ込んでくるかもしれませんし、車の運転をしていれば対向車とぶつかったりする可能性は常にあります。
ま、この手のことを想像したらキリがないので、普通は考えないのが当たり前なのでしょう。
でも、最近の自分はそこから脱することが出来ず、常に怯えている状態なのですよね。
40歳にもなるというのに一人立ち出来ず、なんとも情けない話です・・・・・・。
 
 
で、たぶんこういう不安がしつこく頭にこびりついてしまっているのは、ここにきて親の見た目がすっかり「年寄り」になってきたと分かっているからだと思います。
ここ4~5年くらい一緒に暮らしている自分から見ても、最近は露骨に「歳をとったなぁ・・・」と感じることが多々あるのです。
現在、父は頭が薄くなり、母は痩せて小さくなり・・・。
いまでは子どもの頃から見ていた父と母のイメージではなく、2人とも完全に「おじいちゃん、おばあちゃん」になってきています。
年齢も年齢ですから、もういつ亡くなっても不思議はありません。
病気じゃない健康な人でもコロッと逝ってしまったりしますからね・・・。
こういうことも踏まえると、テロや天災などの件と合わせて、両親が亡くなる確率が跳ね上がっているような妄想に囚われているのが今の自分というわけです。
 
 
と、こんなことを思うのであれば、その不安を解消するために毎日一生懸命生きるべきで、普通の人達はみんなそれを実行しているのでしょうが、それが出来ない自分。
無職生活を続けている以上、仮に生活できるお金があったとしても光明が見えることはありません。
やはりこの手の不安に打ち勝つには、自分で立ち上がって何かあったときの準備をするしかないのでしょうね・・・・・・。

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