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いつか来るその日のために

 
 
先日、いつもこのブログを読んでくださっている方からメールをいただきました。
細かいことは伏せますが、そのメールには「余命宣告」について書かれており・・・、
それを読んだ自分は「改めて考えるとずいぶんと難しい問題だな」といろいろな想いが頭の中を巡ったので、きょうはそのことについて書こうと思います。
 
 
まず、自分だったら余命宣告されたいかどうか考えました。
ハッキリと言われる方がいいのか、それとも黙ってもらっていた方がいいのか。
しかし、やはりこれは非常に難しいです。
というのも、自分の余命は知りたいものの、知ってしまったら絶対にショックを受けると思うから。
事前に相当な覚悟をして聞かされたとしても、自分の余命を知ってしまったら平常心でいられない気がしてならないのです。
 
 
実際、昨年自分が重度の糖尿病と知ったときは、かなりのショックを受けました。
先生から「このまま行けば命に関わる」という注意を受け、そこで生まれて初めて病気による「死」を意識して愕然としたのです。
「まだまだ続くと思っていた人生が終わってしまうのか・・・」と。
幸い、それから数ヵ月たち糖尿病の治療は進み、死に直結するような事態ではなくなったので、今は比較的落ち着いて過ごせています。
でも本当にこのときの経験は衝撃でした。
いきなり襲ってきた現実に、もう何も考えられないほど絶望感を味わったというか。
 
 
と、単に病状を告げられただけでもこうなる自分です。
これが余命宣告だったらと考えると・・・。
心が折れて1か月くらいは家にこもってしまうような気がします。
「どうせ死ぬんだから・・・」なんて諦めモードになって自暴自棄に過ごしてしまいそうです。
むろん、逆に余命を知って何かしら行動に移す可能性もありますが。
それこそもう恥をかくのも恐れず、必死に女性を口説いたりするかもしれません(笑。
 
 
と、そんなわけで自分に置き換えてみてもこれは非情に難しい問題で・・・・・・。
どっちが正解ということはないと思います。
どちらを選択しても、良い面も悪い面もあるといいますか・・・。
 
 
で、例えば自分が「伝える側」だったらどうしたらいいかも考えましたが、これも答えは出ませんでした。
というのも、仮に事前に家族と余命宣告のことについて話し合ったりしていたとしても、いざ実際にそうなると人の心って変わりますからね。
前は「きちんと自分の余命を知っておきたい」と言っていたような人でも、実際に「余命半年」と聞かされたら心が揺らぐものだと思いますし。
そんなに人間は強いものでもありませんので。
 
 
だからもし自分が伝える側だった場合、どっちを選択したとしても、「それが最善だった」と考えていいと思います。
「伝えておけばもっと色々と行動していたかもしれない」と思ったりすることもあったりするでしょうが、伝えてしまったがゆえに意気消沈して無気力になる人もいますから。
人それぞれの性格や考え方と相まって、何とも難しく答えがない問題ですね。
ですが、誰にでもいつか訪れる可能性がある問題でもあります。
そのとき自分なりにベターな選択が出来るように、今後も考え続けていこうと思います。

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